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Q.サラ金の歴史とは?

今回は、書籍から、サラ金・消費者金融の歴史を解説します。

過去の借金問題がどのようなところにあったのかわかる内容です。

著者 弁護士石井琢磨

 弁護士石井琢磨
 更新:2022.3.4

 

新書大賞の『サラ金の歴史』とは?

『サラ金の歴史』が新書大賞を受賞しました。

アコム、プロミス、レイク、アイフルなどの有名な消費者金融が、どういう経緯で発展してきたのか、そのなかで、個人の信用がどう捉えられてきたのかわかる一冊です。

ここでサラ金、借金問題の歴史を振り返っておきたいと思います。

 

動画での解説はこちら。

 

サラ金は1960年代から

サラ金は1960年代に出てきたそうです。

それ以前には、個人に大量にお金を貸す仕組みはありませんでした。

サラ金がこの仕組みを作ったとのことです。

 

それ以前は、無借金社会だったかというと、それは違い、借金自体は昔からあったとのこと。

 

戦前は個人間融資

まず、戦前では借金というのは、ほとんどが個人間融資だったそうです。

親戚、知人、友人、同僚からの借金が主でした。

1942年に借金の調査がされたとのこと。

当時、銀行からお金を借りるということもあったのですが、企業中心で、個人が借りる感じではなかったようです。

そのため、サラリーマンや自営業者の借金は、個人間融資が中心でした。

 

サラリーマンより自営業者が信用される

過去の借金の特徴として、サラリーマンよりも自営業者の方が信用があったという点があります。

サラリーマンは、自宅にいるわけではなく、会社に出勤するなど、居場所が固定化していません。

これに対し、自営業者は、ビジネスを持って店舗などもあり、生活圏が固定化しているから逃げにくいと考えられていました。

だから、自営業者の方がお金を借りやすかったとのことです。

今では、収入が不安定な自営業者より、収入が安定しているサラリーマンの方がお金を借りやすいし、クレジットカードを作りやすい環境になっています。

信用の見方が全く逆であったのは面白いです。

 

当時、サラリーマンですと、銀行からは、お金を借りられななかった、そこで、職場など身近なところからの個人間融資で補っていたという話でした。

 

職場での個人間融資の実態

会社の職場での個人間融資も多かったようです。

職場の上司や同僚から一時的にお金がないのを補ってもらっていたような話です。

このような個人間融資でも利息は発生していたことが多かったとのことです。

なかには、年利で60%や120%というような、今では高金利なパーセンテージの利率設定もあったそうです。

これだけの利息を得られるなら利益にもなるわけで、当時は、職場でお金を貸すためのマニュアルも出回っていたそうです。

ちなみに、利息制限法は個人にも適用されますので、個人間の借金でも、利息を取りすぎれば過払金の請求を受けることもありえます。

職場の同僚であれば、簡単には退職しないでしょうし、当時は給料はどんどん上がっていったりしていた時代なので、返済可能性が高いと考える人が多かったのでしょう。

 

 

団地金融の登場

戦後に出てきたのが団地金融です。

これは団地に住んでいる人たちに貸付をする金融。


団地に配達してお金を渡すこともしていたようです。

当時の団地は、入居するのが結構大変だったそうです。審査に通った人だけが入れる仕組み。

つまり、団地に住んでいるということ自体がステータス、信用になっていたのですね。

 

融資の基本は、信用がある相手に貸すこと。団地金融という仕組みが、消費者金融よりも前に始まったのです。

借りる側としては、当時、テレビや洗濯機などを買いたいというニーズがあったようです。

新しい家電を揃えないと、近所の人たちも持ってるんだから、と借金をしてでも買っていく傾向があったようです。

このような団地に住む人たちに貸していくなかで、個人にお金を貸す仕組みでも利益を得られることがわかり、消費者金融が1960年代から出てくる流れです。

 

繁華街貸付で消費者金融

当初は、プロミスが出てきたそうです。

繁華街でサラリーマンが飲んでいるときにお金を借りてくれるのではないかということで、繁華街、飲み代、接待交際費名目での貸付が流行したのです。

繁華街で飲んでいる人は、いずれ出世するという見込みのもと貸付が拡大したそうです。

当時は、飲み代や遊興費が前向きな借金と捉えられていました。

業者によっては、繁華街までお金を届けていたところもあるとか。

今の時代では、浪費ではないかと言われる貸付ですが、当時は、生活費名目での貸付よりも貸しやすかったとのことです。

その理由は、遊興費なら苦しくなれば削れるから。

生活費だと簡単には減らせないものの、遊興費なら飲みに行かなければ余裕が出る、返せるはず、という理屈です。

 

利益が出て生活費名目でも貸付

貸金業が安定してくると顧客拡大の動きが出てきます。

徐々に生活費名目でも借りたいというニーズにも対応するようになっていきます。

また、借主についても、サラリーマン以外に、専業主婦からの借り入れにも対応するように。

夫婦の関係では、夫は小遣いで足りずに外から借りる、主婦も生活費で借りるという状態になっていきます。

生活費についても夫に言えないから、借りて補う、内緒で借金という傾向にあったようです。

このような内緒での借金は、返さないと家族にバレてしまう点が強制力となり、貸付を実施していた様子。

 

百貨店も参入

丸井(エポスカード)などの百貨店も、クレジットカード、信販事業に進出してきます。

百貨店で買い物をしてくれるようなお客さんというのは年収が高い人が多いということで、信用があります。

そこから利益を得るようになります。

 

電話金融

さらに、電話金融も登場します。

当初、電話は貴重でした。電話を持っている人は信用も高いと判断されました。

そこで、電話経由でアクセスしてきた人に貸すのが電話金融です。

電話自体が信用力となり、審査を簡略化して貸付を拡大することができたわけです。

 

 

信用情報機関の登場

このように顧客を拡大、利益を拡大していった消費者金融には、いろいろな業者が参入してきます。

拡大の流れの中で信用情報機関ができてきます。

自社だけで、顧客の信用を調査するより、共有をしようという動きです。

おそらく、サラ金が増えた、借りる人も増えた、借金が増えて返済が苦しい、という流れで、かなりの貸し倒れなどもあったからの動きといえるでしょう。

延滞時のいわゆるブラックリストと呼ばれるような信用情報機関。いまのCICやJICCなどの元の機関ができるようになります。

 

団体信用生命保険とサラ金

いわゆる団信が登場してきます。団体信用生命保険です。

いまでは、住宅ローンで利用されたりします。

借主が死亡した場合、保険でローンが払われる仕組みです。

 

サラ金被害も拡大

サラ金が拡大すればするほど払えない人が出てきます。

借金苦で自殺をする人も増えてきたと言われ、サラ金被害者の会ができます。

死亡すると保険で借金が返せるとなると、回収側としては危ないことも考えがちになります。

 

被害者の会の動きだったのか、被害が増え続け世論が動いたのか、政府でも規制しないといけないという動きが出てきます。

 

徳田通達による政府規制

ここで政府から通達が出されます。

徳田通達と呼ばれるものです。


国から銀行に対してサラ金にお金を貸すなと通達したのです。

サラ金の仕組みは、銀行からお金を借りて、より高い利息を追加して市民に貸すというものです。

高い金利で貸して、その差額の利息が利益になる仕組みです。

サラ金被害は、そもそも銀行が貸してるからいけないのではないかということで、その元に牽制をかけた動きです。

 

サラ金は、お金を貸すための資金がなくなり、危機に陥ります。

この徳田通達が、第一次サラ金危機の原因と言われます。

中小規模の業者は倒産したり、外資系からの資金調達で対応しようとしたりします。

しかし、その後、景気自体が後退。

今度は、銀行も融資先がなくなってしまったという事態に陥ります。

銀行が潰れるのはまずいということで、また銀行とサラ金のつながりが復活していきます。

 

被害拡大で法規制へ

このように規制と拡大の間を行き来し、サラ金被害の拡大も続き、高利の借金に苦しむ人が増え、犯罪も増えました。

被害者の会の動きもあり、今度は法規制がされます。

貸金業規制法が1983年にできます。

貸金業の利率について、当時の出資法では、年利109.5%とされていました。これを上回ると処罰対象になります。利息制限法自体はあったのですが、全く無視され、出資法の利率が上限利率とされた世界でした。

ここに貸金業規制法で利率の制限が入ります。

年利73%という制限から始まりました。

このような利率制限から、サラ金が破綻が増え始めたのは1984年。

プロミスも債務不履行の危機になってしまった経緯があります。

このような危機になったサラ金を銀行が救済するという話が出てきます。

今では、プロミスは三井住友グループ、アコムは三菱UFJグループなど、多くの消費者金融が銀行の傘下となりました。このような後ろ盾がない消費者金融は、武富士が倒産したり、アイフルも一時期経営危機が叫ばれたりしていました。

銀行の救済を受ける代わりとして銀行から役員の出向

経営にも関与されるようになります。

うまく、この危機を乗り切った消費者金融の中には、上場する企業も増えてきます。

さらに、むじんくんなどのCMで有名になった自動契約機を導入し、貸付を拡大していくのでした。

 

貸金業法等の上限利率の低下

貸金業拡大の一方で、景況等の影響もあり、出資法・貸金業法等によるサラ金の上限利率は、徐々に低下していきます。

年利73%→54.75%→40.004%→29.2%といように下がっていきました。

 

商工ローン被害

貸金業者側も多様化していきます。

そのなかで、中小企業、自営業者に貸し付ける商工ローンが問題化していきます。

銀行から融資を受ける企業と、サラ金から借りられる会社員の間に、自営業者等がいたわけですね。

そこを中心ターゲットとする業態が出てきました。

日栄、商工ファンドなどの業者です。

貸付先が、個人事業者のため、収入が不安定です。

そこで、不動産を担保にとったり、保証人を多数つける、手形を担保に取るなどの貸付をしました。

保証人が多額の請求をされる問題が増えていきます。

 

ヤミ金融の台頭

問題がある貸主として、ヤミ金融が広がり、社会問題化していきます。

規制利率など無視して、出資法の利率すら上回る利息で貸し付ける業態です。

トイチ(10日で1割)やトサンなどの高利業者も登場。

自殺者が報道され、社会問題になっていきます。

 

バブル崩壊でレイクがピンチ

バブル崩壊により、消費者金融の中でレイクが危機となります。

レイクでは、代表者がかなり株式投資をしていたそうです。

レイクの代表者が買った銘柄がレイク銘柄と呼ばれて、株価上昇することも多かったとか。

しかし、バブル崩壊で株価暴落。

大きな損失を出し、経営危機に陥ります。

外資が入ってきて、GEコンシューマーファイナンスに社名変更して存続します。

 

武富士ノルマ問題

サラ金拡大期の中で問題になってきたのが武富士のノルマ問題

武富士は、大手消費者金融でした。

借主に厳しいだけでなく、従業員に対しても厳しいという話がありました。

貸付ノルマなどがあったのです。

若干、宗教団体のように感じるところもあります。今でいうブラック企業的な内容です。

 

武富士からの借主被害という話は、消費者問題を扱う弁護士の中ではよく出てくる話題でした。

ただ、そこに、武富士の従業員も被害を受けているのではないかという指摘もよくありました。

武富士の従業員については、弁護する人も多かったのです。

サラ金の拡大、競争激化により、貸付を多くしようとする企業は、従業員に過大なノルマを課した。従業員の負担の上に起きた業績だったという構造です。

 

自己破産の増加

2003年頃まで、自己破産の申立件数が増加し、ピークとなります。

各地の裁判所も、増える申立件数に対応するため、運用を変更するなどしていた時期です。

以前にあった裁判官による個別面接を廃止したり、減少したりする運用に変わったところも多かったです。

自己破産が増えるということは、サラ金からすれば、回収できない貸付金が増えることになります。

貸し倒れが増加したわけです。

消費者金融では、貸倒率は、3%あたりが限界といわれていたところ、自己破産の増加により、大手消費者金融の貸倒率も5%、6%となり、またしても経営が厳しくなっていきます。

 

過払い金に関する最高裁判決

2006年、過払い金に関する最高裁判決が出されました。

過払い金は、利息制限法違反の利息について精算するものです。

この最高裁判決以前から過払い金の請求はありました。

利息制限法の利率は、年15~20%だったのですが、貸金業規制法の上限利率はもっと高かった。

このグレーゾーン金利の問題がありました。

昔からあった過払い金請求を、非常に請求しやすくしたのが2006年の最高裁判決です。

それまでは色々と主張・立証しなければならず、裁判も長引きがちだったのですが、この最高裁判決で一つの争点に結論を出したため、サラ金側の反論が少なくなったのです。

その後、この最高裁判決を受けて、法改正が進み、グレーゾーン金利は大幅縮小し、ほぼなくなりました。

本の中でも誤解を招く記載がありますが、法改正によって過払い金請求ができた、最高裁判決によってできるようになった、というのは間違いです。

以前からある利息制限法を根拠に、過払い金請求は昔からできるものでした。これがしやすくなった。

この問題を法改正でほとんどなくしたというものにすぎません。

 

貸金業法改正、総量規制

2010年の法改正で、それまで、グレーゾーン金利の上限とされていた年利29.2%は廃止、20%まで引き下げられました。

また、借主保護のため、総量規制が導入されました。

多重債務防止のため、消費者金融等のキャッシングは、年収の3分の1までにしようとされました。

 

さらに、貸金業の経営は厳しくなっていきます。

 

過払い金請求とサラ金倒産

レイクブランドが、GEから新生グループに移されます。撤退が増えていきます。

2010年には、武富士が経営破綻。会社更生法の適用を申請。

 

過払い金請求に特化した法律事務所が乱立。CMも増える。

 

消費者金融は、銀行をバックに持っていないと厳しいといわれるようになりました。

アイフルは、経営危機ではないかと経済誌に書かれる状況。事業再生ADRを利用するなどして乗り切っています。

 

銀行カードローンの保証

その後、増えたのが銀行カードローン

多くの銀行が、サラ金が担当していた消費者への貸付を広めます。

年利18%など、利息制限法の範囲内での貸付を実施。

消費者金融に保証してもらい、借主が払えなくなれば、代位弁済して、消費者金融に権利を移します。

消費者金融としては、保証料ビジネスになっていきます。

銀行の貸付は、総量規制の範囲外ということで、多重債務者の相談では、半分以上が銀行カードローンということも増えました。

楽天銀行なども当初は、多額の貸付をゆるい審査で進めていたものと思われます。

 

 

ヤミ金業者は振り込め詐欺へ

総量規制が導入された際、サラ金から借りられなければヤミ金融が増えるのではないかと心配する声もありました。

しかし、統計上は、ヤミ金融の被害はそこまで増えませんでした。

その代わりに、このような業者は、オレオレ詐欺、振り込め詐欺などに流れたのではないかといわれています。そのような詐欺事件の被害は増え続けました。

 

個人間融資の問題

ヤミ金融は増えなかったものの、個人間融資のトラブルは増加傾向となりました。

スマホ、SNS普及によって、個人間での取引が増えています。そこで、融資取引も増えているのです。

たとえば、男女間の関係を条件に高利貸しをするひととき融資。

個人間融資を装ったヤミ金融の貸付。

個人間融資での詐欺。

SNSでは、マッチングを狙ったハッシュタグが多数できています。

個人間融資でも、利息制限法は適用されますし、出資法違反であれば刑事処分の対象にもなってきます。

貸し倒れリスクも考えれば、一般人が手を出すのは危険でしょう。

 

サラ金の歴史と信用のまとめ

このようにサラ金の歴史は、個人の信用をどう考えるかにも関係しています。

そして、もともと行われていた個人間融資に戻ってきているところが興味深いです。

サラ金の拡大と規制が繰り返され、その中で、個人の信用をどう判断するかが問題になってきました。

個人間融資では、信用を判断する要素が少なく、SNSの情報を見て判断するとなれば、評価経済的な内容になってきています。

とはいえ、職場間での個人間融資よりSNSの個人間融資では、貸し倒れリスクは高いのではないでしょうか。

プロがしのぎを削って調査してきた信用情報の判断について、個人が太刀打ちできるとは考えにくいです。

個人間融資で、利息制限法による過払い金請求などがされることも考えると、手を出さないほうが無難といえるでしょう。

 

今回は、サラ金の歴史について、借金整理の問題と関係があるところを中心にピックアップしましたが、他にも興味深い内容が詰まっています。

ぜひチェックしてみてください。

 

 


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